その萌芽は16世紀に始まっているが、商品経済が発達し町人が経済力をもつようになる江戸時代には、下駄は様々な形態のものが出現し、台に漆を塗ったり、竹皮や籐の表を付けたり、鼻緒に天鵞絨(ビロード)を用いたりと、着物とともにお洒落を意識したものになる。
一木作りの下駄には、台裏の中程を刳り貫いた「馬下駄」が出現し、その台が高くなり前のめりをつけた「中刳り下駄」、その後歯だけ切り出したような「堂島下駄」、台の中央に切れ目を入れただけの「中折れ下駄」などがみられる。
ところで、この「下駄」という名称であるが、これも江戸時代になって現れたものである。言葉としては、「木履」が奈良時代、「足駄」が平安時代の文献にみられる。木履は初め下駄をさしたかどうかは不明であるが、現在も方言として聞かれる。
下駄は長く泥湿地で履くものであり、雨天のはきものであった。それが、この時期「日和でも下駄履いて」と、雨天だけのものではなくなっていく。そこで、日和に履く下駄は、馬が転じてついた「駒下駄」と呼ばれるようになり、それまで通り雨天に履いた差歯高下駄に「足駄」の語が残り、関東ではそのまま続いている。そして「げほう下駄とて・・・表桐の柾目、歯は樫の木丸歯なり。足駄ひくくてはきよし」(『我衣』)と、差歯下駄にも変化が生じ、これが「日和下駄」とか「利久下駄」と呼ばれるものになっていく。
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