下駄の歴史
下駄のルーツ   日本における下駄の出現
古代から中世   江戸時代
−服飾としての下駄−
明治から大正
−庶民のはきものへ−
  昭和初期から現在
松永下駄の製造工程    
 「下駄はいつから履かれていたのか」、そして「何故歯が二枚付くのか」とは、大変多くかつもっともな疑問である。でも明確な答えはない。
下駄が「木製の台に前1つ後2つの孔をあけ、2本の支柱である歯をもつもの」としたら、最も早い例は古代エジプトにある。ファラオの墓としてはピラミッドが有名であるが「王家の谷」と呼ばれる岩窟墓もあり、そこから出土したサンダルには下駄の定義そのままの木製サンダル(写真1)がみられるのである。約3000年前の「下駄」である。
 ただ、これをそのまま日本での出現に結びつけることはできない。下駄は温暖な農耕地帯、特に稲作農耕民族に用いられており、日本での出現も稲作の伝播と関わっていた可能性は考えられる。しかし、アフリカ(写真2)から中近東(写真3)・南アジア・東南アジアにはみられても、東アジアの稲作地帯である中国では南部の少数民族にみられるだけで漢民族にはみられず、朝鮮半島では下駄を用いられていないのである。
 また、2本の支柱は平らな台を支えるための最も簡単でバランスを取り易い方法である。植物繊維や革では出来ない高い台を求めた時、木の利用が考えられたのであろう。鼻緒に限らなければ、ヨーロッパの中世にも同じようなはきものがみられた。

(写真1)
エジプト・カイロ博物館に展示されている王家の谷出土の木製サンダル。後ろの穴は台側面にあけられている。
(写真2)
ザイールの下駄。前緒部分に立てた端棒をはさんで履く。
(写真3)
アフガニスタンの下駄。歯は半円形に削り出され、革緒が付く。

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